松戸駅1分の高島司法書士事務所

司法書士高島のプロフィール(誕生から司法書士になるまで)

当事務所の司法書士高島一寛(たかしまかずひろ)は、昭和45年7月に千葉県流山市で生まれました。ごく幼い頃に流山市内で引っ越ししているそうですが、記憶があるのは流山市西松ヶ丘に住んでいるときからです。

幼稚園は千葉県柏市にある柏陽幼稚園へ通園バスで通いました。そして、流山市西松ヶ丘にあった自宅から近くの、流山市立東小学校に入学しました。自宅から最寄りの駅はJR常磐線各駅停車の南柏駅で、Googleマップで調べてみると1.1km(徒歩15分)の距離でした。小学生の私にはかなり遠い距離に感じられましたが、小学校の高学年になると南柏駅では飽き足らず、自転車に乗って柏駅の方まで遊びに行っていた記憶があります。

流山市立東小学校を卒業すると、同じく流山市立の東部中学校に入学しましたが、2年生になるときに松戸市へ引っ越し、松戸市立新松戸北中学校に転校し卒業しています。余談ですが、松戸市立新松戸北中学校は、2009年に松戸市立小金中学校に統合され閉校となっています。私が新松戸北中学校を卒業した頃の松戸市新松戸は、まだ新しいマンションが多く建ち並ぶ新興住宅地でした。それが、子どもたちの数が減少したことにより、新松戸北中学校も閉校となってしまったのでしょう。

松戸市立新松戸北中学校を卒業した後は、千葉県立小金高等学校へと進学しました。松戸市新松戸にあった自宅から小金高校までは徒歩で10分強の距離だったので、新松戸駅から徒歩で通学していた多くの同級生とは違い、徒歩(たまに隠れて自転車)で通学する3年間でした。

高校時代は2年生のときから河合塾の松戸校にも通っていました。当時の小金高校では、7割の生徒が浪人するなどといわれていた時代でしたが、現役のときから予備校に通っていたおかげか、現役合格を果たし大学へと進学することができました。高校での成績は芳しくなかったので、周りの人々にだいぶ驚かれた記憶があります。

ところで、松戸市新松戸にあった自宅から、河合塾のある松戸駅まではそれほど遠くない距離だったので、自宅から松戸駅まで自転車で通うこともありました。高校生の頃には、その後に松戸駅の近くで司法書士事務所を開くなんて、想像すら出来なかったことです。司法書士である限りは、これからも松戸市にいるはずなので、人生の大部分を松戸で過ごすこととなりそうです。

大学は、立教大学社会学部産業関係学科に入学しました(2006年に、産業関係学科と経済学部経営学科を母体に経営学部が開設されたことで、産業関係学科は消滅しているようです)。大学では一般教養で少し法律関連の授業があったはずですが、ほとんど全く法律を学ぶ機会はありませんでした(そもそも、テニスサークルに所属し遊んでばかりだったので、勉強自体あまりした記憶がありません)。

大学を卒業した後は、新卒で就職した食品メーカーでの営業職、ソフトウェア開発会社でのプログラマを合計約6年経験した後に、司法書士になることを志しました。

平成12年の司法書士試験に1回目の受験で運良く合格し、平成13年1月からの1年間は東京都内の司法書士事務所(東京法務局城北出張所からすぐの司法書士事務所)で実務を1年間のみ経験しました。

そして、平成14年2月に松戸市で司法書士事務所を開業しています。全く法律の勉強をしたことがない状況で司法書士試験の勉強を始め、1年弱の学習期間で奇跡的に合格しました。それから1年間の実務経験のみで司法書士事務所を開業しているので、当時は知識と経験のなさを感じることも多くありました。

それでも、会社員としての社会人経験6年と少しを経た後の司法書士事務所開業であり、そのとき既に30歳を超えていたこともあり、即独に近い状態ではあったものの何とか業務をこなすことが出来たのだと思います。

独立開業の地に松戸市を選んだのは、そのときはまだ松戸市新松戸にある実家に住んでいたからです。東京都内での開業も考えましたが、足立区や葛飾区だと修行した司法書士事務所と管轄登記所が重なってしまいます。だからといって、更なる都心部で開業するのは家賃負担などを考えると躊躇してしまいました。

柏駅周辺の物件なども見て回りましたが、せっかくならば最も縁のある松戸市で開業するのが良いと考え、松戸駅の近くで事務所を開くこととしたのです。結果としては、ホームページのプロフィールなどをご覧になり、松戸市の出身であることを知った上でご相談くださる方も多く、地元での開業はやはり正解だったようです。

司法書士事務所開業から20年近くの年月が経過し、今ではベテランの域に差し掛かる歳となってまいりましたが、初心を忘れることなく努力を続けていきたいと考えております。

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